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論考2


『平和憲法があぶない』

  1.はじめに
今、憲法9条第2項が、自由民主党・政府によって削除されようとしている。 憲法9条第2項が憲法改正最大の焦点である。
憲法第9条第2項は『・・・・、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』と規定している。自由民主党・政府は、この条項を一番に嫌がっている。この条項は『戦力』と『交戦権』という国家権力の行使を明確に放棄・否認しているからである。この9条第2項があるために、政府は自衛隊を自由には海外派遣できないのである。自由民主党・政府は、この条項を削除したいがために環境権やプライバシー権等の新しい人権で憲法改正を包装し、全面改正しようとしている。
自由民主党・政府は、世界第2位の経済大国「日本」として、国力を外国に対して誇示し、外交の場でも『戦力』によって、相手を恐れさせ、有利な立場を保持したいようだ。これは、わがままな大男が、自分の意思を理論的にわかりやすく説明できないから、手っ取り早く武力をもって自分の意のままにしたい、欲求の表明である。米国のブッシュ大統領は、イラクのフセイン大統領が自分の意のままにならないので、武力攻撃(イラク戦争)をしたごとく、自由民主党・政府も戦争ができる軍隊が欲しいようだ。
平成17年10月28日発表された自由民主党『新憲法草案』では、第9条の2(自衛軍)として『・・・・、内閣総理大臣を最高指揮者とする自衛軍を保持する。・・・・』と明記している。いよいよ自衛隊が自衛軍として軍隊になる日が近づいている。自衛隊の前身は、米軍占領下の1950年朝鮮戦争勃発の年に、マッカーサー元師の『警察予備隊創設に関する指令』によって創設された警察予備隊である。自衛隊は、警察の予備隊であったのである。それが、1952年サンフランシスコでの日米平和条約と日米安保条約が締結された年に、保安隊となり、1954年には今の自衛隊となった。そして自衛隊が今、国際貢献・人道復興支援の名の下に、海外派遣される時代となっている。

2.憲法第9条の解釈
現行の日本国憲法第9条の解釈について、見てみよう。
日本国憲法第9条は、1項で『国権の発動たる戦争』と『武力による威嚇』と『武力の行使』を永久に放棄した。但し、これには『国際紛争を解決する手段としては』という留保が付いている。この留保は『国内の紛争を解決するには武力を行使してよい』とか『国際紛争に至らない範囲なら武力を行使してよい』とかのいわゆる反対解釈はできない。ただ『国際紛争を解決する手段としては』の留保は、『自衛戦争は放棄されていない』、『放棄しているのは侵略戦争だけである』との解釈が、時代と共になされてきた。この『自衛戦争』と『侵略戦争』について、『自衛』と『侵略』の各戦争は、峻別することができない、との批判がある。これまでなされた戦争は『侵略戦争』として開始されたものは1つもない。どんな戦争でも『自衛戦争』としてなされているのは歴史的事実である。
これに対し、国家の自衛権について、現代国際社会において『普通の国』なら当然に認められる固有の権利である、との抗弁がなされている。国連憲章第51条でも『 ・・・・ 国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。・・・・』と規定し、国際連合加盟国の『個別的自衛権』と『集団的自衛権』を認めていると指摘する。そのとおりである。しかし、この固有の自衛権は、安保理事会が必要な措置をとるまでの間とある。固有の自衛権は、国連憲章上一時的な措置である。これに対しては、理論上の空論ではなく、現実の国連・国際社会を見よとの主張がなされる。理想と現実に対する価値観の問題となる。
しかしながら、政府(内閣法制局)は、今のところ国家固有の権利としての『集団的自衛権』は認めていない。それは、今度の憲法改正最大の焦点であると、真っ先に書いた日本国憲法9条第2項があるからである。第2項には『戦力はこれを保持しない』とある。陸海空軍の戦力が持てないなら、すなおに自衛の為の戦力も持てない、となる。又、『国の交戦権はこれを認めない』とある。相手国が侵略してきても、日本国は交戦できないのである。結局第2項の『戦力の不保持』と『交戦権の否認』によって、日本国は、『自衛戦争』も禁止されているとの解釈になる。ところが、第2項の初めに『前項の目的を達するため』というのがある。憲法制定時の第90帝国議会で政府は、この前項の目的とは、戦争を放棄するに至った動機を一般的に指し、正当防衛権に基づく自衛戦争は可能でも、第2項で一切の戦力の保持が禁止されているので、事実上自衛戦争もできないとの考えかたを示していた。ところが、警察予備隊から保安隊に、そして自衛隊が組織されるようになってきて、自衛隊は近代戦争遂行能力がないので『戦力』には該当しないとか、今では第2項の『前項の目的を達するため』とは『侵略戦争放棄という目的を達するため』と限定解釈し、自衛のための『戦力』は保持できるし、個別的自衛権に基づく『自衛戦争』はできる、と政府の第2項解釈は変遷していった。
この政府の自衛戦争合憲説に対して、日本国憲法には、自衛戦争を想定した規定がないことや前文の平和主義の精神に反する、自衛戦争と侵略戦争の区別は不可能等、多くの疑問が指摘されている。そして、自衛戦争を認める政府(内閣法制局)は、日本国憲法に第9条第2項があることによって、『個別的自衛権』による自衛戦争は認められるが、『集団的自衛権』による自衛戦争は認められないとの見解を堅持している。内閣法制局は、自国が攻撃を受けていないのに、同盟国を攻撃する国に反撃するのは「自衛のための必要最小限度の実力行使」とは云えないとの立場、集団的自衛権は行使することができないとの見解である。自衛権の発動には、@わが国に対する急迫不正の侵害があることAこれを廃除するために他に適当な手段がないこと、B必要最小限度の実力行使にとどまること、の3つの要件に該当する場合に限られる。
集団的自衛権とは、『自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利』と言われている。日本は米国と安全保障条約があるからと云って、自衛隊がイラクに行って、英国のように米国の戦争を加勢することはできない。

3.日米安全保障条約と地位協定
戦争に対する考え方として、正当な原因・理由がある場合は許されるとする「正戦論」があるが、まもなく戦争にはいずれかを正・不正とすることはできない、交戦国の立場は平等であるとする「無差別戦争観」に変わっていった。「侵略戦争」は悪い戦争だが、「自衛戦争」は正しい戦争ということだ。 しかし、交戦国は、いつの時代も「自衛戦争」の大義をもって戦争を遂行した。交戦国にとって戦争は、いずれの国も正当な原因・理由のある「正戦」となるので、結局は勝利した国の大義が正しいとなる。
しかし、全面戦争となって、軍人のみでなく、多くの住民・一般市民をまきぞえにした第1次世界大戦の悲惨な結果、「戦争自体を違法化」する考え方が出てきた。第1次世界大戦後に設立された国際連盟は、「国際紛争解決のために戦争に訴えることを非とし、・・・国家の政策の手段としての戦争を放棄する・・・。」とした。日本も条約第1号として、1929年7月24日このパリ不戦条約を批准した。
しかし、第2次世界大戦は起きた。広島・長崎に原爆が落とされ、一瞬にして11.4万人・7.4万人が殺され、地上戦となった沖縄においては、半年程度で20万人が殺されていった。
戦争は、人間に人間性を喪失させる残酷さ、悲惨さを現出し、言葉に尽くせない戦禍を残した。原爆・水爆は、今後第3次世界大戦が起こった場合は核戦争となり、人類は滅亡してしまうかもしれない、との恐れを現実のものにした。第2次世界大戦後の国際連合は、「国際平和及び安全を維持すること。・・・」(第1条)を目的とし、この目的を達成するため「・・・国際紛争を平和的手段によって、国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し・・・」(第2条3項)、「・・・武力による威嚇又は武力の行使を・・・いかなる方法によるものも慎まなければならない。」(第2条4項)とした。 第2次世界大戦後の世界は、共産主義陣営のソ連と自由主義陣営の米国が対立する「冷たい戦争」の時代となった。日本国憲法が公布されたのが1946年の4年後、1950年には朝鮮戦争が勃発する。そんな中日本の安全をどのように維持するのか、が政治課題となっていった。1952年日本が選択したのが、日米単独講和(平和)条約であり、日米安全保障条約の締結であった。
日本国憲法が理想とし、予想していたわが国の安全保障の形式は、世界連邦又は世界国家の形式であったが、それが実現されるまでは、いかなる国家に対しても非戦・非武装中立の立場をとることである。ところが現実には、日本は米国との安全保障条約による自由主義陣営に組みすることになり、米軍は戦後60年にわたる現在まで日本に駐留している。この米軍の日本駐留に関する日米間の取り決めが「日米地位協定」である。
日米地位協定は、在日米軍の日本国内での行動範囲と権利・義務を規定している。しかし、米軍が日本を占領していた当時の行政協定が見直しされることなく、ほとんどそのまま「日米地位協定」に引き継がれたので、不条理・不平等と非難されている。非難がなされている点は、@米軍に対する日本側のコントロールが及ばない(国内法の適用除外特権)A米軍の日本国内での行動は原則自由(出入国自由の特権)B基地に対する米軍の絶対的ともいえる「排他的管理権」の容認C米軍事件・事故に対する裁判の米側優先権D返還基地の「現状回復義務の免除」による基地の自由使用と汚染防止策の欠如、汚染浄化義務の免除Eここ10年毎年600億円以上(水光熱費除く)の駐留費経費負担(おもいやり予算)等である。これに対し、政府・外務省は、改善を求めると口にはしているが、弱腰外交との批判がなされている。
日本全国に駐留する米軍基地面積の75%が集中する沖縄県からは、この「日米地位協定」改定の運動がなされている。沖縄県における日米地位協定改定のうねりは、1995年9月米兵による少女暴行事件により、沖縄県民8万5,000人を超える日本復帰後最大規模の県民総決起大会が開催された。その結果、1996年日米特別行動委員会(SACO)合意がなされ、世界一危険な「普天間米軍ヘリ基地」は、2003年以内には返還されることになった。
ところが、「普天間基地」は返還されずにいたところ、2004年8月普天間基地に隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した。そして、自由民主党の新憲法草案が明らかになった日の翌日、平成17年10月29日日米安全保障協議委員会は、在日米軍再編の中間報告を出した。この在日米軍再編中間報告は、沖縄県民の要求を無視する、在日米軍基地機能強化だと沖縄県知事を初め県民は反発を強めている。

4.憲法との乖離と国民感情の変化
1990年の湾岸戦争で、日本は巨額な資金提供をしたにもかかわらず「金だけ出し、人を出さない」と世界から評価されなかった。その後PKO協力法を作り、停戦が合意されたカンボジア暫定行政機構に参加して、自衛隊を海外に派遣できるようにした。2001年9月11日米国で同時多発テロ事件が発生すると、日本政府は「テロ対策特別措置法」・「周辺事態法」そして「イラク特別措置法」と憲法違反の疑いある特別措置法を次々と制定して、自衛隊を『国際貢献』・『人道復興支援』の名の下に海外派遣した。内閣法制局が、行使できないとした集団的自衛権の壁も、小泉政権によってなし崩されようとしている。
このような事実の積み重ねと憲法拡大解釈の結果、自衛隊の実態は、誰が見ても憲法の条文との齟齬が明白となってきた。ところが、戦争を体験してきた人が少なくなるにつれ、多くの日本国民が現実肯定論者となっていった。憲法違反だと云われたりしていた自衛隊についても、その存在を認める国民が増えた。世界第3位の軍事費を支出する自衛隊の『実力』を『戦力』ではない、「自衛隊は軍隊ではない」という現実矛盾から脱却しなければならない状況になっている。
自由民主党・小泉政権は、今憲法9条第2項を削除して、自衛隊を正面から「軍隊」として位置づけ、憲法の中に「軍事法理」を持ち込もうとしている。今度の衆議院議員選挙で大勝した自由民主党・政府は、長年の夢(憲法改正)が実現できる可能性が大きくなっている。二大政党の民主党も創憲を唱えて、「9条」を改正するのに反対していない。経済グローバル化の中で、小泉内閣の構造改革の推進を支持する日本の財界も、自由民主党の憲法改正も又支持している。政界・財界とも、平和憲法を「改正」しようとしている。 自由民主党の新憲法草案は、第9条の2(自衛軍)のみでなく、前文『・・・日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概を持って自ら支え守る責務を共有し・・・』や第12条(国民の責務)『・・・自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し・・・』と規定し、これまでの個人の基本的人権の調整基準として機能していた『公共の福祉』は、『公益及び公の秩序』に変えられ、責務を伴う公益をもって、個人の基本的人権が広く制限されていこうとしている。そして、自由民主党の新憲法草案、第6章司法の中には『軍事に関する裁判を行う為、法律の定めるところにより、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する。』(第76条第3項)と規定している。いよいよ憲法の中に軍事法理が持ち込まれようとしている。
自由民主党によるこれらの憲法改正条項は、日本国憲法の『平和主義』を後退させ、個人の『基本的人権の保障』を後退させるのは明らかである。日本国が自衛軍を持つことによって、これまで制限されていた集団的自衛権の行使が認められ、自衛軍はあえて人道復興支援を揚げることなく、海外での軍事行動(戦争)を展開していくことが可能となる。国家権力(政府)は、戦争遂行の為に『公益及び公の秩序』を振りかざして、個人の基本的人権を制限してくるようになる。軍事法廷では、憲法の基本的人権の保障の及ばない例外が多く設けられ、人権無視が行われていくことになるだろう。そして次は、徴兵制へと向かう。集団的自衛権が認められることによって、日本国は今以上にアメリカ追従の国となっていく。その結果、アジア諸国からの信頼を失っていくことになるであろう。この様になることは、充分に予測できることである。

5.おわりに
  日本国憲法は、まもなく変えられようとしている。国会は憲法改正の為の国民投票法案の審議に入った。憲法改正の条件整備は整いつつある。自由民主党の『新憲法草案』のように、国家が軍隊をもち、公益(国家や社会そして家族)が強調される改憲がなされたら、日本国憲法が理想としている「非武装・中立」や「個人主義」がどうなるのだろうか。まず考えられるのは、戦前の日本のように「お国(公益)のため」との大義名分により、個人の基本的人権が、今より無数に制限されてくるのは、充分予測できることである。表現の自由・集会結社の自由・報道の自由・思想及び良心の自由・学問の自由・経済的自由・あらゆる自由が、「国民の責務」と「公益及び公の秩序」により、広く制限されるようになってくる。「個人の尊重」よりも「公共心」や「愛国心」が全面に押し出される。自由民主党の「新憲法草案」は軍隊をもつ戦前の日本への回帰になる可能性がある。
  日本国憲法の自由な空気を吸った国民は、戦前の状態に戻るわけはないとの主張もあるが、国民は自覚していても、いつの間にか変わっていくものである。軍隊は「カッコイイ」として、入隊していく若者も増えるかも知れない。その裏で、米国のように、戦争で死亡した若者の「知らせ」に泣く家族が増えていくかも知れない。そして改憲される前の平和憲法が施行されていた60年余は、戦争が全くなかった、日本人は誰1人戦争で死亡する者はいなかったことに気づくことになるかも知れない。そうならない為にも、今一度憲法は、何の為に、そして誰の為にあるのか、よく考え、憲法改正を議論していかなければならない。
以上
(沖縄県会・仲村弘)